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第101回ローズパレード参加

 

このたび第101 回ローズパレードに、《天理教ハイスクールバンド》の名のもとに、共におぢばで学ぶ天理高等学校吹奏楽部と天理教校附属高等学校マーチングバンドが一つとなって出場することができた。

本校吹奏楽部としては、今から24年前の1966年、教祖80年祭の年にわずか50名で第77回ローズパレードに出場して以来2度目である。

今回は本校からは100 名で、両校並びにスタッフ共に総勢237 名という大人数の出場であった。

ローズパレードの始まりは、今から100 年前の1888年にパサデナの最上流階級の人々が結成した“バレイ・ハント・クラブ”の人々が「ニューヨークでは、人々は雪の中に埋もれている。ここには私達の花が咲き乱れ、オレンジが実を結ぼうとしている。私達の楽園を世界の人々に知ってもらえるようなフェスティバルを持とうではないか」という発案を元にして、1890年1月1日に第1回の花の祭典「ローズパレード」が始まった。以来毎年1月1日(第2時大戦中は三年間中断)にパレードが行われるようになった。また、その時代にあったテーマを定め、花で飾り付けられた車(フロート)などで表現している。100 年の歴史の中で、雨で中止されたことはたった2回だけである。前置きはこのくらいにして、日程にそってエピソードなどにふれながら、今回のアメリカ演奏旅行の紹介をしていくことにしよう。

真柱様からお言葉−祭典終了後に結団式−11月26日

本部月次祭終了後、南礼拝場前で、ローズパレード出場の結団式が行われ、真柱様から次のようなお言葉を戴いた。

「ローズパレードは、全国教信者の親神様に対する御恩報じの真心から出場することが出来るということを考えると、ただ演奏として終えることなく、日ごろ訓練した練習のたまもの、成果をいかんなく彼の地で発揮していただきたい。それがみんなの真心に応える君達の心がけていかなければならないことである。決してにをいがけをしてこいとは言わない。にをいがけとはそんな簡単なものではないと思うからである。それより学び舎は違えども心を揃えて日ごろの成果を一手一つに発揮することが、結果から言えば親神様の思召さえ戴けば、にをいがけにもつながることにもなるのであります。一手一つの演奏は必ず人の心を打つものだと信じて疑いません。精一杯演奏し、元気で帰ってくれますことを私は待っております(要旨)」

われわれは真柱様のお言葉をしっかり心におさめて、二つが一つになり、一手一つに心を揃えてローズパレードに臨むことを誓った。

機長は吹奏楽部の先輩−ハワイ大学の広さにびっくり−12月23日

いよいよ出発の日である。

すべての準備が完了して二時に本部参拝。団長である梶本國彦先生を芯に演奏旅行の成功と1月8日には全員無事におぢばに帰らせて頂けるようしっかりお願いをした。そして3時、大勢の方々に見送られ、大阪国際空港へ向かう。楽器の通関も無事終え(すべてノーチェック、総積載重量4780キロ)、教会本部の先生方や、副校長先生をはじめとし学校の先生方、生徒の保護者、OBの方々に見送られ、午後6時45分、われわれ一行を乗せた飛行機がハワイに向けて大阪国際空港を離陸した。離陸後数分たち、JAL88便の松下機長から「ただ今、右下に天理市が見えます」という放送が入った。「右下に富士山が見えます」ならわかるが「天理市が見えます」という放送だったので皆がびっくりし、機内がどよめいた。機長がこの放送をしたのには訳があった。何を隠そう機長さんは本校の卒業生であり吹奏楽部の先輩でもある。われわれの為に今日のフライトの日程を調整して下さったのである。このことを生徒達に説明し、それを聞いた生徒達は、これで落ちる心配はないと思ってか、得意の熟睡に入った。あとで一部の先生方が機長さんに招かれコックピットを見学された。その折りに、機長さんの一年後輩にあたる副団長のY先生は、他の先生方は自分の座席に戻ったにもかかわらず、一人残り、長時間居座っていたそうである。たぶん昔話に花が咲いたのであろう。

機内で充分くつろぎ、ホノルル時間午前六時(日本時間午前1時)あこがれのハワイに到着した。さあ、ここからいよいよアメリカだと全員に気合が入った。 空港を出たところに、ハワイ伝道庁長の永尾先生はじめ伝道庁の方々がわれわれを暖かく出迎えて下さった。市内観光の後、伝道庁に到着し、参拝。そして永尾庁長先生から歓迎のお言葉を戴いて、歓迎パーティーが催された。終了後、宿舎及び練習場所であるハワイ大学へと向かった。大学に到着したわれわれは、キャンパスの広さに驚かされた。天理でいえば、三島、杣之内、守目堂をひとつにしたほどの広さである。宿舎は大学の寮である。全室二人部屋で、設備も充分整っている。寮の違いにもびっくり。私物を各自の部屋に入れ、楽器点検を済ませ、一息つくまもなく、さっそく練習開始。午後3時から6時までフィットボールのフィールドでドリル練習、夕食後9時まで音楽室で練習であった。しかしほとんどの者が時差ボケで練習が思うようにはかどらなかった。12月23日という日は本当に長い一日であった。

ハワイやけで真っ黒−夜はバスで市内観光− 12月24日

この日は、明日のアロハボウルの「プリゲームショー」のドリルの練習であった。気候はもちろん真夏であり、練習が終わるころにはみんな真っ黒に日焼けしていた。まだ時差ボケ状態が続いていたが、生徒のがんばりで、何とか明日のドリルの形ができあがった。 昼食は寮の食堂で、一人一人に食券代わりのカードが渡されており、食堂の入り口で係員に見せている。食事はバイキングスタイルで好きなものを好きなだけ食べられる。昼食の後は、各校に別れての練習であった。

日中の練習が終わり、夜は伝道庁の方々の案内で、バスで市内観光にでかけた。夜なので危険ということでバスを降りず、バスの窓からの観光であったが、街中はクリスマスイブということもあって、イルミネーションなどで飾られ、大変美しく、少しではあったが楽しい一時を過ごすことができた。

アロハスタジアムでドリル演奏−午後は待望の海水浴−12月25日

アメリカ演奏旅行最初の本番を迎えた。各自本番用のユニフォームを着て朝5時半に集合。朝が早いということと時差ボケも手伝って、準備のミスが続出。予定より少し遅れてアロハスタジアムに向かう。今年のアロハボウルは、ミシガン州立大学とハワイ大学との対決であり、地元がわきにわいている。そして我々の出番もハワイ大学出場のため、10時の予定が、9時となり、開場間もない時間の本番となった。そのためお客さんは非常に少なかった。アメリカ本土向けのテレビと日本のNHKが我々の演技を撮り、アメリカの多くの人々に見てもらえることができた。演技のできは、最初の本番ということもあって、全員やや緊張ぎみであったが、練習の成果を充分に発揮したと思う。でも、やはり大勢の観客の前で演技を披露したかった。演技終了後はアロハボウルを観戦することができたが、ほとんどのものがルールを知らない。しかし生徒達はスタジアムの雰囲気を敏感に察知し、いかにもアメフトファンのごとく手当り次第に応援し盛り上がっていた。しかし一瞬ひやりとさせられたのは、ハワイ大学側の応援席にいたにもかかわらず、ミシガンのチアリーダーにこたえて、訳もわからずミシガンの応援をしたときである。まわりからはブーイングの嵐であった。午後からは待ちに待った海水浴。みんなの目付きが変わった。時差ボケもどこかに吹っ飛んで期待に胸ときめかせ、ワイキキの隣のアラモアナビーチに着いてみると、防波堤に囲まれた子連れ用のビーチであった。お天気も上々。××姿なし。非常に健全。時間は二時間ぐらいであったがみんな楽しい時間を過ごせた。ハワイ大学に戻り夕食を済ませ気持ちを切り替えて練習。明日の演奏会に備える。

盛んな聴衆の声援−ハワイでの日程終了−12月26日

今日でハワイでの日程が終了する。各校別々の日程である。天高はアラモアナショッピングセンターとマッキンレー高校での演奏会。附属高校は、パールシティー高校で交歓演奏会及び交歓会。そして一足先にロサンゼルスへ。さて天高が行ったアラモアナショッピングセンターとは、日本でいうと百貨店みたいなところであり、そのセンターのちょうど中心にあるクリスマスデコレーションに飾られた小さな舞台で演奏したのである。当日はクリスマスあけということもあって大変な賑わいであるうえに、演奏が始まる前から店内では、何度となくわれわれの演奏会の案内を放送したので、演奏の始まる前から舞台の回りはお客さんで埋め尽くされていた。午後2時から約40分間、主にポップスやマーチを中心として演奏した。日本ではあらかた聴き終わるとさっさと帰って行くところだが、みんなじっと我々の演奏に耳を傾けて、プログラム終了後も、お客さんのアンコールぜめであった。とにかくお客さんの反応が日本とでは全く違い、すごい声援をいただくことができた。また、演奏会後、指揮者や関係者にお礼を言う人や質問をする人達が後を絶たなかった。次の会場のマッキンレー高校はハワイでも有数の伝統校であり、ここのバンドは10年ほど前に天理にも来ている。午後7時半両国国歌に引き続き、交響詩「おやさま」より第2楽章“陽気つとめ”で演奏会が始まった。ハワイでの最後の行事である。これまで我々のために大変ご苦労下さった伝道庁の方々や多くの方々に感謝の心を込めての演奏であった。またハワイ大学教授で現在ホノルルシンフォニー指揮者のヘンリー・ミヤムラ氏が「アルメニアダンス・パート・」を指揮され演奏会に花を添えて下さった。

3便に分かれてアメリカへ−片側4車線のフリーウェイ−12月27日

ハワイでの全日程を無事終え、いよいよアメリカ本土へ向かう。伝道庁の方々には連日細部にわたっての心配りなど真心のこもったお世話どりを頂いた。伝道庁に別れを惜しみながら空港へと向かった。ロスに向かう飛行機は人数の都合で3便に分かれることになった。3便とも会社が違い、アメリカン航空、ユナイテッド航空、ハワイアン航空、以上3社である。私はハワイアン航空の飛行機に乗ることになったが、「落ちるとすればハワイアン」とみんな私を脅ろかす。機内に入ってみるとやたら日本語文字が目立つ。飛行機の羽根を見てみると、「JAL」よいう文字を消した跡がうっすらと見えた。これで日本語が多い訳が分かった。この飛行機はJALの中古機だったのである。いよいよ危ない。ロス時間(ホノルル時間とは2時間の時差)9時55分ロサンジェルスに生きて到着。空港にはアメリカ伝道庁の方々やOBの鳥沢(旧姓岩橋)さん、ノーマントラベルのエディーさんなどがわれわれを出迎えて下さった。早速荷物を受け取り、バスに乗り込み、みんなが待っているゲートウェイホテルへと向かう。途中片側4車線のフリーウェイをバスの運転手は時速120 キロでぶっとばし、見るものすべてがでっかく感じ、さすがはアメリカ本土である。生徒達もアメリカにやって来た実感がわいてきたのか、やや興奮ぎみである。フリーウェイをぶっとばすこと約30分、ようやくホテルに着き、みんなとの再会である。これで無事全員アメリカ本土に到着したのである。明日からはいよいよローズパレードに向けての日程がはじまる。

マーチングタイガーとの交歓会−迫力満点のサウンド−12月28日

気候はハワイと違い少し肌寒く、日本の初秋のような感じである。朝晩の冷え込みは厳しいが、昼間ともなればとても暖かく、半袖シャツでも寒くない。ロスについての初日だが、早速リバーサイド・コミュニティー・カレッジ・マーチングタイガーとの交歓会である。朝食後リバーサイドに向け出発。 ゚前中は広くゆったりとしたキャンパスで練習。昼食は、マーチングタイガーの後援会の方々が用意して下さった。われわれの目の前で焼かれたハンバーガーとホットドッグは、日本で食べるのとは違い大変おいしい。また、飲物のコーラも炭酸が強くなく、あっさりと大変飲み易くおいしい。この昼食を頂いて、またまたアメリカに来たことを実感した。夕方6時、交歓会が始まり、最初は附属高校のマーチングバンドのドリル演技、それにひきつづき、合同の天理教ハイスクールバンドのドリル演技である。演技中、お客さんやマーチングタイガーのメンバーからすごい声援がとびかった。とにかく陽気で、何かするごとに嵐のような拍手と声援がとびかう。日本とはまったく感覚と反応が違う。われわれの演技の後はマーチングタイガーのドリル演技である。とにかく、出てくる音にびっくりさせられた。超ど迫力サウンドがわれわれを圧倒した。さすが本場アメリカ。基礎力の違い、感性の違いをフルに披露してくれた。われわれも負けじと、お返しの声援を送った。演技がすべて終了した後、みんなフィールドに降り、それぞれがそれぞれの相手をつかまえ、単語の羅列と得意のボディーアクションでコミュニケーションし大いに盛り上がりを見せた。異常な盛り上がりで予定が大幅に遅れたが、生徒達にとっては大変有意義な交歓会であった。

著名人の前で演奏−ディズニーランドでパレード−12月29日

この日から、ローズパレード関係の行事が始まった。まず初めの行事は、「ローズボウル・キックオフランチョン」という行事。これはローズボウル関係者及び各界の著名人を招いての昼食会での演奏である。例年だと、アメリカ海兵隊軍楽隊が演奏していたのだが、今年は、天理教ハイスクールバンドが依頼を受けた。 合唱のパサデナコンベンションセンターはとても広く、3000人ほどが座れるようぎっしりと椅子が並べられていた。11時、演奏開始。まずは天高単独での演奏。演奏が始まると、お客さんは、非常に感心した顔でじっと聞いている。天高の演奏の後、附属高校の単独演奏。そして、最後に合同で「親神様の守護」「トゥルーパーサリュート」「マンボ」と3曲演奏した。もうそのころになると、場内は人でぎっしり詰まっていた。12時、キックオフランチョンの始まりである。まず司会者が開会の宣言をした後、アメリカ合衆国国歌の吹奏である。国歌は天高単独の演奏であり、3000人を越す人達が国歌を斉唱した。国歌吹奏の後、われわれが紹介され、場内からは割れんばかりの拍手を戴くことができた。われわれは式典の邪魔にならないよう会場を抜け出し、午後からの練習会場のラ・セルナ高校へと向かったが、途中バスの運転手が道に迷い、結局1時間半もかかってしまい、ほとんど練習にはならなかった。その後、よる8時半からのディズニーパレードに出演するため、アナハイムにあるディズニーランドに向け出発した。現地に到着後、パレードまで一旦解散し、待望のディズニーランドで遊ぶことになった。しかし、園内に入ってみると、芋洗いのごとく人また人で乗物に乗るどころか移動すらままならぬ状態であった。でもやはり天高生。みるみるうちに姿を消し、2時間のあいだ、思い思いに楽しい時間を過ごして、誰一人遅れることなく7時に集合し、いっぱいお土産を手に集合した。8時半、いよいよパレードの始まりである。メインストリート横のゲートにスタンバイし、アナウンスの紹介で、かっこよくパレードがスタートした。パレードコースはメインストリートから、スモールワールドまでであったが、沿道はお客さんでぎっしり詰まり、それぞれが口笛を鳴らしたり、大声で声援したり拍手したりして、われわれのパレードを楽しんでくれ、大変気持ちのよいパレードをすることができた。また、パレードが終わっても、控室のあるところまで列を保ち整然と行進したことを係員の人達が感激し、「ここまで、人のいないところまでしっかりパレードして戻ってきたのはあなたたちがはじめてです(英語で)」とお褒めの言葉を戴いた。ディズニーランドに別れを告げ、ホテルに戻ったのが10時であった。今日は2度の行事をこなし、みんなくたくたであった。

バンドフェスティバルに出演−伝道庁で歓迎パーティー−12月30日

この日は、ローズパレード関係の行事の中でも、パレードにつぐ大事な行事、バンドフェスティバルが行われた。この行事の参加は、ローズパレード参加22団体中、協会側の厳正なる審査によって、今年は5団体選ばれ、天理教ハイスクールバンドもその中に選ばれた。われわれはこの日のために、11月から附属高校と合同ドリル練習を積み重ねてきた。天高はご存じのとおり、シンフォニックバンドであり、マーチングはパレード以外ほとんど素人である。生徒達は慣れないドリルを覚え、戸惑いながらも今日まで練習に励んできたのである。午前中、生徒達はバンドフェスティバルのリハーサルのため、パサデナシティー・カレッジのスタジアムに向かった。私は、ローズパレード参加団体の指導者の会合の朝食会に、新子先生、福田先生、エドワード・マーチン氏(通訳)と4人で、トーナメントハウスに向かった。朝食会には、参加二十二団体の指揮者とドラムメジャーが招かれていた。各自が用意された料理を思い思いにとり、席に着く。全員が席に着いたところで、ローズパレード実行委員の紹介、会長挨拶、そして、パレードに関する諸注意ならびに説明がなされた。もちろん英語であり、エディーさんの通訳を通して聞く。内容は「前夜は早く寝なさい」「メインスタンドでは、90台のテレビカメラがあなたがたの演奏を撮りますので、その前では楽器を降ろさず、必ず演奏して下さい。でないとコマーシャルに変わりますよ」「パレードは8キロありますが、とにかく本番は演奏し続けて下さい」「ドラムマーチはできるだけ短く」といったことで、私にとっては、気の遠くなるような説明会であった。バンドフェスティバルの会場ではフィナーレの合同リハーサルが行われていた。合同リハーサルのあと、協会に無理に頼んで、われわれだけのリハーサルをさせてもらった。みんな緊張してか練習のときより無茶苦茶で、やや不安を残し、出番を待った。1時。会長、名誉総裁、ローズクィーンの登場で、バンドフェスティバルが始まった。天理教ハイスクールバンドは最後5番目の出場であった。2時45分、司会の紹介とともに、われわれの出番が始まった。関係者一同緊張の一瞬である。曲はミュージカル「ウエストサイド・ストーリー」のメドレーである。ワンプレーごとにスタンドのお客さんからすごい声援と拍手が飛び交う。生徒達もそれに応えるかのように、練習よりものびのびと演技をしていた。いよいよ曲も大詰めとなって、スタンドとプレーヤーとが一体となった。15分の演技が終わると、スタンドは総立ちになり、口々に「ナンバーワン!」と叫んで拍手を送ってくれた。本当に今回のドリルはしんどく辛いものがあったが、この瞬間「ああ、やってよかった」とそれぞれが心の中で繰り返し叫んで、拍手を浴びていたことと思う。終了後、参拝のためアメリカ伝道庁に向かった。天高生は日程の都合で、初めての伝道庁参拝であった。

6時、板倉伝道庁長の芯で夕づとめが始まる。全員今日のバンドフェスティバルの成功のよろこびと感謝のお礼を込めて、また2日後のローズパレードの無事成功を願って、また天高生はフェスティバルのあと倒れて病院へ行った仲間の回復を願っての参拝であった。夕づとめ後、板倉庁長先生から歓迎のお言葉を戴いた。その後、神殿横にあるホールで歓迎パーティー(立食)が催された。会場でひと際目を引いたのは、日本料理である。みんな天理を出発してから日本料理を口にしていなかった。みんな目のいろを変えて、日本料理のテーブルにずらりと並んだ。なかでも一番人気のあったのが、みそ汁で、何杯もおかわりするものが目立った。生徒Aさん談「ホテルなどの食事は全体的に油っぽかったし、ほとんど肉料理。中華料理も食べたが、やっぱり伝道庁で食べた日本料理が一番!」

パレードコース見学−いよいよ明日は本番−12月31日

午前中パサデナのパレードコースを見学。沿道には4、50段ほどの観客席が立ち並び、報道陣の機材も設置されており、みんなそれを見て、パレードが迫っていることを実感。そのあとフロート作製現場、ローズボウルスタジアムなどを見学。午後からは、ラ・セルナ高校のフィールドで、最後の仕上げをした。5時にホテルに帰着、夕食後ローズパレードについての最終的注意と説明を聞き、楽器点検、ユニフォーム点検を念入りにし、明日に備え9時に完全消灯した。

90台のTVカメラ−教旗をふっての声援に感激−1月1日

年が明け、いよいよローズパレード。5時起床、誰一人寝ぼけ顔はなく、いつになくぐっと引き締まった顔付きで集合した。最終点検を済ませ、6時パサデナに向かう。7時パサデナ着、まわりは出演者がそれぞれのユニフォームをまといごったがえしている。お天気は快晴。まさに新年の幕明けにふさわしい絶好のパレード日和。係員の誘導に従い、スタンバイ地点へ向かう。スタンバイ地点ではウォーミングアップやパレードの始まりを待つバンドで一杯である。気温は5、6度で肌寒いが、緊張しているせいかあまり感じない。われわれも念入りにウォーミングアップをし、パレードの始まりを待った。私もドラムメジャーとして出演するので念入りに調整をし待った。総出演団体115 。内訳は、バンド22団体、フロート60団体、騎馬隊30団体、その他3団体。海外からは、チューリッヒ警察バンド(スイス)、サンポエルナバンド(インドネシア)、そして天理教ハイスクールバンドである。バンドの総人数は5027名と発表されている。それぞれのバンドが出演順に並び待機。われわれの出演順番は94番目で、ずっと後ろのほうで待機。8時10分、第101 回ローズパレードの幕が切って降ろされた。白バイに先導され、アメリカ国旗を掲げた騎馬隊を先頭に、次々とスタートして行く。われわれもじりじりとスタート地点に近付く。今それぞれが今日までの様々な経過を振り返り、大勢の方々の真実を胸に、出番を待っている。9時50分、とうとうスタート地点。係員のサインが出ればスタートだ。緊張は頂点に達した。

93番目のマレーシア航空のフロートが我々の前を通過。9時53分、係員が大きく手を上げ、ついに「GO!」のサインがでた。全員が体の底から込み上げて来る興奮を音にし、「親神様の守護」を高らかに奏でスタートを切った。目の前に広がった巨大な観客席には人がぎっしりと詰まり、拍手と声援で我々を迎えてくれた。バンドのメンバーもそれに応えて、興奮のるつぼと化し、力一杯に演奏し続けた。バンドはオレンジ通りからコロラド大通りにさしかかった。そこにはメインスタンドがあり、90台のテレビカメラが一斉にわれわれを捕えた。約5億人のもの人がこの映像を見る。それに応えるように、無心にただひたすら「親神様の守護」を演奏し続けた。あらかじめ協会側からの指示で、メインスタンドを通過するまでは楽器を降ろさず、曲を演奏し続け、曲と曲の間は8拍のドラムソロにしていた。距離にして天理駅から教会本部まではゆうにある。普通のバンドはメインスタンドを通過し終わったらドラムマーチを長くし、曲間をあけ管楽器奏者の唇の調整をはかるが、われわれはメインスタンドから少し離れたところで、道友社のカメラが設置されている関係、普通より長く吹き続けなければならなかった。しかしなかなかその場所にたどりつかない。だんだん音がバテ始めている。なにしろ30分以上も吹き続けである。ようやくカメラの位置を通過し、ドラムマーチと楽器を降ろすサインを出す。その瞬間生徒達はたとえようもなく輝いた顔をしていた。コロラド大通りは真っすぐづーっと続き、ゆるやかな傾斜がある。沿道は人でぎっしり詰まっている。時おり「A happy new year!」とか「konnitiwa 」という声が飛び交い、拍手と声援を惜しみなく送ってくれる。日本ではないことだ。ありがたい。なかなか中間地点のパサデナカレッジが見えてこない。ドラムマーチで曲間をつなぐと「Hey ! Go play!」と演奏するようにと沿道から催促がくる。また我々の前のフロートが時々エンストを起こし、進んでは止まって足踏みという状態が何回も続く。そうこうしている間にようやく中間地点を通過した。しかしまだ先は長い。もう距離は考えず、もっとパレードを楽しもうと自分に言い聞かせ、沿道のお客さんに手を振ったり声をかけたりした。そうするとだんだん気持ちが楽になり、自然と足が前に出て、あっという間に4分の3地点に達し、コロラド大通りを左折し、ゴールへと一歩一歩近づいていった。ゴールまであと1キロ手前のところで、とうとう何回もエンストを繰り返していた、前のフロートが動かなくなり、協会側の対応も遅れ、我々はその場で停止状態となった。演奏していると係員から「無線が聞こえないから止めてくれ」といわれ、ドラムマーチに変えた。すると沿道からは「Go play !」と声がかかる、非常にやりづらい状態であった。停止すること約10数分、フロートはリタイア。われわれはフロートの横を二手に分かれ通過した。すると、もう前にはフロートもバンドの姿もなく、われわれだけのパレードみたいな感じがした。私は生徒の方にむかって、「あともう少しだ、ガンバレ!ここからはとばしていくぞ!」と檄(げき)をとばした。そして前を見ると、スタンドから紫の教旗の小旗がいっぱい振られているのが目に飛び込んできた。伝道庁の方々や地元の信者さんたちであった。われわれが来るのを首を長くして待っていて下さったのである。私は体の底から込み上げてくる熱いものを感じた。そして演奏の音も今までとは一変し、疲労感を感じさせないすばらしいサウンドとなり、応援に応えるように今まで以上に威風堂々と通過して、とうとう全員無事にゴールインしたのであった。この瞬間、生徒、スタッフ、関係者全員、たとえようもない充実感とよろこびに満ち溢れた顔で光り輝いていた。それぞれが様々な思いを胸に、伝道庁へお礼の参拝に向かった。伝道庁では、数多くの方々からねぎらいの言葉を頂戴し、よろこびと感謝の心でお礼の参拝をさせていただいた。参拝の後、ホールにてお節会料理を頂き、やっとお正月を迎えることができたという気がした。さらに、ホテルで打ち上げのパーティーが催され、あらためてパレードの無事成功のよろこびを分かち合った。9時30分。今日まで行動を共にしてきた附属高校のメンバーがメキシコへ出発。生徒達がお互いに手を振っている姿を見ていると、ふと真柱様のお言葉が思い出され、生徒達はお互いに一つとなって、パレードを成功させたんだと感じた。明日からは天理高校吹奏楽部としての行事が待っている。一同気持ち新たにし、長い一日を終えた。

ロサンゼルス市内観光−ユニバーサルスタジオ見学−1月2日

7時起床、昨日の緊張した顔から一変し、いつもの天高生らしい顔で集合。心配された昨日の疲れもたいしたことなく、若さで吹き飛ばしたみたいだった。今日は、一日ゆったりとした日程で、ロサンゼルス観光が予定されている。午前中は、バスでロサンゼルス市内巡りである。自然と調和した、見事な野外劇場のハリウッドボウルや、映画スターの手形足形で有名な中国寺院風の映画館チャイニーズシアターなどを観光した。午後はユニバーサルスタジオ見学。日本でいう映画村で、約170 ヘクタールの敷地を、トラムというバスで2時間ほどかけて一周した。そこには巨大な撮影用のセットが作られており、SFX(特殊撮影装置)のセットでは、ETやスターウォーズなどのタネあかしなどもあり、映画製作の裏側を見ることができた。また、トラムに乗る際にガイドさんが「右側に乗った方がおもしろいよ」といわれ、生徒達は競って右側の座席に着いたが、途中水を使った大地震やジョーズのセットのとき、右側の座席に座った生徒達は水をかぶるはめになった。トラムで一周したあと、今アメリカの人気番組の「マイアミ・バイス」のスタントショーを見学。生のスタントの迫力とセットのすごさに圧倒された。 生徒Jさん談「ユニバーサルスタジオの中のトイレに行ったら、おばあさんに『ここは女の子だよ』といわれ、ショックを受けた」 

生徒K君談「ガイドさんにだまされ、右側に座ってびしょぬれになった。でも目の前でものが燃え出したり、洪水が起こったり、肌で感じれてよかったし、映画を見る目が変わった」 

7時ホテル帰着。嬉しい知らせがおぢばから届いていた。ラグビー部が1日の試合に25対13で慶応高校に勝ったという知らせだ。ブラジル演奏旅行のとき野球部が優勝したということもあり、今回はラグビー部が優勝するかもしれないという期待もあって、みんな知らせを聞き、大はしゃぎであった。

マーチングタイガーとの交歓演奏会−アンコールの連続−1月3日

27日から7日間滞在したホリディーイン・ゲートウェイホテルとも今日でお別れだ。一カ所に長く滞在でき、移動がなかったので大変ありがたかった。

生徒L談「ホテルでチップと一緒にあめを置いておいたら、お返しにチョコレートを置いていてくれた。」

9時間半、ホテルでチェックアウトし、一路リバーサイドへと向かった。今日は、12月28日に交換会を行ったリバーサイドコミュニティーカレッジ・マーチングタイガーと、同カレッジのジャズバンドとの交歓演奏会である。午後7時30分、コミュニティーカレッジ内のホール。マーチングタイガーの迫力あふれるファンファーレで演奏会が始まり、引き続き、ジャズバンドの演奏。そして、われわれ吹奏楽部の演奏と続いた。われわれの演奏を実に真剣に聴いて頂き、曲が終わるごとに拍手と声援で場内は大変盛り上がった。最後はアンコールの請求で、予定時間を大幅に超えて演奏会が終演した。そのあと生徒達は、ここに親睦を深め、今夜の宿泊場所のシェラトン・リバーサイドホテルについたのが12時前であった。

生徒Mさん談「アメリカ人の演奏には奏者の“のり”と楽しさがすごくはっきりしていたのが大変勉強になった」

ドキドキのホームステイ−緊張と不安の生徒達−1月4日

今日から2日間、生徒達は2人一組でホームステイすることになっている。ホストファミリーは、昨年夏、天理を訪れたパウエイ高校バンドの生徒の家である。9時、ホテルをチェックアウトし、サンディエゴに向かう。今夜交歓演奏会を行うパウエイ高校のホールが改修工事のため、姉妹校のマウントカーメル高校で演奏会を行うことになっている。そのため、まず会場となるカーメル高校に向かった。着いてみると学校はもう始業されており、ちょうど下校時間にぶつかった。アメリカの学校では16歳で自動車免許が取得できるので、ほとんどの生徒が車で通学している。各自が友達と一緒に車に乗って下校して行く姿をみて、日本との違いにびっくりさせられてしまった。昼食を港のレストランでとり、1時間ほど演奏会の準備をして、ホストファミリーの待つパウエイ高校へと向かった。バスで移動中、生徒達は緊張の色を隠せなく、不安そうな顔をして黙っていた。パウエイ高校に着くと、ホストファミリーの人達がおのおのに迎える生徒の名前を書いたカードを掲げて出迎えてくれた。まるで生徒達が売られて行くような光景であった。7時にカーメル高校に集合ということで、それぞれホストファミリーに連れられて夕食にでかけた。8時、予定より遅れて、演奏会が始まった。遅れた理由は、ホストファミリーの人達があまり時間を気にしないので、のんびり夕食をとったからである。演奏会は昨日同様、お客さんが食い入るように我々の演奏を熱心に聴き、陽気なお客さんの“のり”で盛り上がった。最後にパウエイ高校のバンドのメンバーが舞台に上がり「ワシントンポスト」「国民の象徴」2曲を合同で演奏し演奏会を終えた。生徒達はまたそれぞれのホストファミリーに連れらえていったが、みんな、ボディーアクションの連発で、会話に四苦八苦しているのをみて、やや不安が残ったが、生徒達の初めてのホームステイが始まった。

辞書片手にうろうろ−ホームステイでてんやわんや−1月5日

生徒は朝からパウエイ高校で2、3時間授業を受けた。9時半に我々スタッフが迎えに行くと、くたびれた顔をして集まってきた。昨夜、おぢばからラグビー部が国学院久我山に11対10で勝った知らせが入っていたので生徒達に知らせ、盛り上がったところで我々はバスでシーワールドへと向かった。それぞれ園内でイルカやシャチ、オットセイなどのショウを見たり、お土産を買ったりして、楽しい一時を過ごした。3時半、生徒達は再びホストファミリーのもとへ帰って行った。7時から1950年代をテーマにしたダンスパーティーがパウエイ高校で行われ、ジーンズ、Tシャツ、サングラス姿で、みんな一段と交流を深めた。また、スタッフのレセプションの場で、おぢばから、ラグビー部がついに決勝戦に進出した知らせが入り、生徒もスタッフもこの日は大いに盛り上がった。

3年生最後の演奏会−ホテルで歓送夕食会−1月6日

2日間のホームステイを終え、ホストファミリーと名残惜しみながら別れを告げ、アメリカ演奏旅行最後の演奏会のために、再びロサンゼルスへと向かった。

10時30分、伝道庁の待ち構えている、リトル東京の日米会館到着。

今日のこの演奏会が3年生にとって最後の演奏会となる。そういうこともあって、みんないつもより緊張していた。

舞台の仕込みが思ったより遅く、リハーサルの時間がほとんどなくなった。不安を残し、予約されている赤坂飯店で中華料理を頂いた。しかし、不安と緊張のためほとんど食べた気がしないという状態だった。

2時、最後の演奏会が始まった。第1部は、「アルメニアン・ダンス・パート・」「交響詩おやさまより第2楽章」、そして、今年みんなが必死の思いで練習を積んできた、難曲の「ディオニソスの祭」。第2部は、「ディズニーメドレー」や「日本民謡組曲」「ガーシュイン」などポピュラーを数曲演奏した。プログラムを全部終了し、お客さんたちは総立ちで拍手を送ってくれた。アンコールに応え、3曲演奏した後、いろんな思いが交差する中、行進曲「ナイルの守り」でアメリカ演奏旅行最後の演奏会を締めくくった。

5時、リトル東京のベスト・ウエスタン・ホテル東京にチェックインし、7時30分から伝道庁長はじめお世話どり頂いた方々と共に、歓送夕食会が催された。

生徒達は、全行事を終えたこともあって、非常に明るく、食欲も旺盛で何杯もおかわりをし、若さを爆発させていた。

この夜、スタッフ・ミーティングのとき、おぢばからラグビー部が全国制覇を成し遂げた吉報が飛び込んでき、優勝と全行事無事終了とよろこびが倍になり、スタッフも大いに盛り上がった。

ラグビー部優勝の吉報−喜びと感謝でおぢばへ−1月7日

いよいよアメリカともお別れである。

  • 8時、チェックアウトを済ませ、伝道庁にお礼参拝に向かう。全員無事今日までお連れ通り下されたよろこびと感謝の心で参拝させて頂いた。その後、校長先生の方からラグビー部の全国制覇が生徒に伝えられ、みんな口々に「ヤッター!」とわが事のようによろこび、気持ちははやおぢばの方に向いていた。板倉伝道庁長先生から歓送のお言葉を戴き、お世話どり頂いた方々に力いっぱいお礼を述べ、多くの方々に見送られ、空港へと向かった。
  • 11時、空港でメキシコから無事戻ってきた附属高校と合流し、見送りに来られた方々と最後の別れを告げ、飛行機に搭乗した。
  • 12時、われわれを乗せたJAL61便(機長は松下先輩)は、ロサンゼルスを飛び立った。
  • 16時40分、成田空港着。
  • 18時、JAL51便成田発大阪行きに乗り換え、19時10分、無事大阪国際空港に着いた。われわれは通関を済ませ、副校長先生をはじめとする学校の先生方、保護者やOBの方々、また教会本部の方々に出迎えられ、無事帰ってきたことを報告した。狭い高速道路を通って、日本に帰ってきたことを実感しつつ、おぢばへ向かった。
  • 10時、全員無事揃って、おぢばに帰ってきた。神殿が目に入ったときだれもが日本に帰ってきたこと、またアメリカ演奏旅行を無事終えたことを実感し、感激で胸がいっぱいであった。

最後に、無事おぢばに帰ってきたことを親神様、教祖にお礼申し上げた。

いろいろな出来事があった。楽しかったこと、苦しかったこと、個々様々な思いで通った17日間。しかしこの期間に学んだことは非常に多く、これからの人生に大きな影響をあたえるであろう。

この貴重な体験を生かし、親の思いに添うよう、白紙に立ち返り、新たなる心で、日々精進を積み重ねていくことを誓い、17日間のアメリカ演奏旅行が終わった。