トップページ演奏会のご案内、チケットの申し込み歴代指導者と吹奏楽部部史、年譜表、コンクールの記録今年のスケジュールCD、レコード、ユニフォーム、珍しい楽器の話題関係するリンク集吹奏楽部へのメール

日伯友好親善のかけ橋−音楽を通してにおいがけ

教祖百年祭の年に遠くブラジルの地へ演奏旅行に出させて頂いた。ブラジル伝道庁創立35周年記念大会と、日伯援護協会が悲願としている日伯友好病院建設のためのチャリティーコンサートに出演することが主たる目的であった。それに加えて、百年祭の記念すべき旬に、おぢばに帰りたくても帰れない人達に、尊いおぢばの香りをかけさせて頂くという、真柱様はじめ御本部の厚い親心からブラジルへ行かせて頂くことになったものである。以下順を追って書いていこうと思う。

空路30数時間の長旅−期待と不安を抱いて−

8月7日午前7時。大きな旅行カバンをもって続々と集まってくる。4トン半の超ロングボディーのトラックも着いている。生徒達は期待と不安の入り混じった顔つきで最後のチェックに忙しい。楽器の量がものすごい。60名が演奏する楽器に加えて、万が一のための予備楽器も含まれている。それぞれケースに入れた楽器を、更に1立方メートルぐらいの木製の箱につめていく。すきまにはボロ布などを入れてクッション代わりにする。そういう木箱が37個もあるのだ。税関を通らねばならないので、それぞれの箱に何が入っているかを一覧表にしてある。そのリストには、楽器名・メーカー・製造ナンバー・価格・縦×横×高さ・それに重量が書き込まれてある。念には念をいれて、それぞれの箱につめていく。時間がどんどん経過していくが、なかなか進まない。8時前には学校長が心配して様子を見にこられる。11時にお玄関を出発の予定である。三殿を廻らせてもらうので、10時過ぎには積み込みを終えなければならない。全員汗だくで積込む。伝道部のトラックも到着。生徒それぞれの私物を積込む。

10時15分ようやく終わる。全員そろいのブレザーを着て手荷物と手持ち楽器をもって神殿へ。副校長はじめ先生方が待っていて下さる。学校長を芯に道中の無事と大会の成功を、親神様、教祖様、霊様にしっかりお願いして、祖霊殿前の廊下で学校長より最後の御注意を頂き、急いでお玄関へ。真柱室長の梶本先生より激励のお言葉を賜わり、先生方や父兄、先輩方のあたたかいお見送りをうけて、11時15分おぢば出発。 車内で昼食の弁当を頂き一路大阪空港へ。今回のメンバーは、校長を団長と オて、部長・副部長、指揮者、ドラムメジャー、それに記録用の写真を担当していただくエーコープロダクションの大久保氏。海外布教伝道部アメリカ二課より矢持氏。プレイヤー60名の計66名である。

西名阪は渋滞もなく進んだが、阪神高速に入って混みだした。12時半に矢持氏と私は、通関の手続きのためにJALの人と待ち合わせをしている。ノロノロ運転に矢持氏はイライラ。10分遅れの12時40分空港着。生徒の方はまかせておいて矢持氏と私は急いでJALの事務所へ。係の人から旗と腕章を受けとって税関事務所へと急ぐ。税関の方へは前もって伝道部の方からリストが送られてあって、外務大臣にもお願いする文書もすでに渡されてある。通常の入り口からはトラックが大きすぎて入らないので、貨物専用入口にまわる。ゲートが閉まっていてガードマンが見張りをしている。非常に厳しく、トラックの運転手は免許証と車検証を提示し、先程渡された立入許可の旗を見せてやっとゲート内へ。私達はそれぞれ腕章をまいて中に入れてもらう。空港内ではあるが、法的には外国にいることになる。税関の係員が木箱のふたをあけてリスト通りか確かめる。怪しいものは入っていないが、実際に木箱に入れてみるとリスト通りになっていない箱もある。そんな箱をあけられたら困るなと内心ドキドキしながら見ていたが、係員は一箱だけみて『結構です』と云ってくれたのでほっとした。機内に乗せるために一箱ずつ運ばれていく。箱には『取扱い注意』、『こわれもの』のシールがはられてあるが、全て機械でやるのでハラハラする。37個の箱が全て運ばれるのを見届けて生徒達の方に戻る。

すでに全員のサムソナイトがJALのカウンターの前に並べられている。全てのカバンには梅鉢のシールと、リオと行先の書いたシールがはってある。2時より通関が始まる。小さな楽器は手持ちである。この手持ち楽器も、誰がどの楽器を持つかリストにしてある。外国製の楽器は出国の時に申請しておかないと、外国で買ってきたとみなされて税金を取られるのだ。空港まで見送って下さった方々と、しばしの別れを告げて機内に入る。15時5分発のJAL052便である。ほとんどの生徒は海外は勿論飛行機に乗るのも初めてである。時刻どうり離陸。ぐんぐん上昇する。約1万メートルまで上昇してから水平飛行に移る。伊勢湾の上空である。海岸線がくっきりと美しい。浜松を過ぎたと思われるあたりから下は一面雲海である。その中に富士山の山頂だけが雲をつき破って見える。雲海に島とはよく云ったもので見事な眺望である。伊豆大島の上空あたりから下降飛行に移る。房総半島の九十九里浜が絵のように美しい。ゆっくりと下降していく。山林を切りひらいて作られた成田空港に無事到着。

ここで4時間半の待時間。もっと後の便でも良かったのだが、短時間で楽器の積みかえをされて乱雑に扱われ、こわれたりしては大変との伝道部の配慮でこの便になったのだ。大阪空港で税関を通っているので、成田では空港外には出られず、法的には外国にいるのと同じである。生徒達は荷物を一ヵ所に集めて順番に留守番をしながら7時まで解散。免税店に行ってあれこれ見ながら少し買物をする。7時に集合してJAL064便の搭乗ゲートに並ぶ。今回、真柱様のご名代として、善亮様がブラジル伝道庁35周年記念大会に出席されることになっている。伝道部のアメリカ二課長、島村先生が随行されている。7時半すぎ善亮様一行が搭乗ゲートに到着され、学校長より私達スタッフ一同紹介して頂く。カメラマンの大久保氏は休みなく写真をとり続けている。

いよいよ機内に入り、一路ロスに向けて飛びたった。約11時間の飛行である。一度目の機内食が出てから眠りにつく。子供おぢばがえりひのきしんから続いているのでクタクタだ。狭いシートではリクライニングしても寝にくい。実際4時間ぐらい眠っているのだが、感覚としてはウトウトしたぐらいで矢持氏に起こされた。疲れ切っているのだからもっともっと眠らせてほしい。彼は生徒達も起こしてまわっている。『何故こんなに早く起こすの? 生徒達も疲れているからもっと寝かせてやらねば』と愚痴をこぼすと、『今起きないとロスから眠れませんよ』とさすが何度もブラジルまでの旅を経験している矢持氏の言葉に納得。ロスで2時間ほど待ち時間があり全員ロビーへ。

再び飛行機に乗り一路リオへ。又、夜になってもう一度眠りにつく。早く起こされたおかげで今度はぐっすりと眠れる。日本とブラジルとの時差はちょうど12時間。昼と夜が全く逆なのだ。機内放送で時計を合わすように案内されるが、私は全く時計を動かさなかった。今頃日本では一日先の昼なんだなと思うと不思議な気持がしてくる。

窓側の生徒達のざわめきでブラインドをあけると今まさに夜が明けようとしている。前方の空が真赤に染まり筆舌につくしがたい光景である。シャッターを切る音が連続する。地球が誕生して以来くり返されてきた光景ではあろうが、この自然の美しさには驚嘆した。予定ではリオのガレオン空港に着き、別便でサンパウロのグワルーリョス空港へ行くのだが、ガレオン空港が霧のため、サンパウロのビラコップス空港に着陸。ここは貨物専用空港である。出迎えの伝道庁の関係の方は大変である。全員がグワルーリョス空港で出迎えの用意をしておられる。急きょバス2台をこちらの空港にまわして下さった。ここで税関を通りブラジルに入国することになる。伝道庁の村田書記先生が代表で出迎えて下さる。入国手続きを終えてバス2台に分乗してグワルーリョス空港に向かう。

サンパウロは人口700万以上の大都会である。ブラジル全土に日系人は約80万人、そのうちサンパウロには約60万人いるとのこと。市内から少し離れたところに空港が見えてきた。正面ゲートを少し過ぎたところに100人以上の人が見える。歓迎の横断幕をもって手を振って下さっている。ハッピ姿の人も見える。予定通りならこの空港から皆が出てきた時に歓迎の式典をするつもりであったのだ。後続のバスがなかなか着かない。あとで聞くと途中でパンクしたとのことであった。ここで歓迎の花束をもらってバスを乗り換える。これから乗るバスが、19日ブラジルを出国するまでずっと乗るバスである。補助席なしの44名乗り。最後部にはトイレがある。長距離用のバスである。ボディーの下にはサムソナイトが全員の分楽に積める。11時過ぎ空港を出て宿舎のニッケイホテルに向かう。

ホテルの周辺は日本人街といわれており、ところどころに漢字の看板がでている。ブラジルの人種構成は、白人62%、インディオを含む混血26%、黒人11%その他1%である。町を歩く人の顔を見るとよくわかる。生徒達に部屋を教えて荷物を入れさせてからすぐに昼食。伝道庁の温かいお心遣いで和食の弁当である。明日9日には伝道庁創立35周年記念大会と、チャリティーコンサートがある。出来るだけ早く練習にかかりたい。昼食もそこそこにリベルダーデ商工会ホールで練習。校長と私と伝道庁の先生と3人でサンパウロ総領事館へ表敬訪問に出かける。4時という約束だがやゝ遅れ気味である。2時から新聞社との記者会見という予定も時間がなくてつぶれてしまった。総領事、副領事と歓談して最後に記念写真。16日の文協講堂でのコンサート、17日のイビラプエーラ公園のパレードは是非見せて頂くとのお言葉を頂いて辞去する。7時からは日伯援護協会主催のレセプションである。スケジュールがぎっしりつまっている。

日伯友好病院建設のためのチャリティーコンサートが私達のつとめである。竹中会長より歓迎の言葉を頂き、協会側と学校側のお互いを紹介する。記念品の贈呈があって食事が始まる。ここでも和食が出されて一同喜んで頂き9時過ぎに終える。全員で後片付けを行ってからホテルに戻り、入浴、就寝。6時半のモーニングコールを頼んでやっと忙しい一日が終わった。

伝道庁創立35周年−記念式典に花添える−9日

9日快晴。南半球であるので今は冬である。日本で聞いた時は、最高30度、最低5度ぐらいと教えられたので、半袖と長袖の両方を持ってきている。しかし今のところは半袖で充分である。7時に食堂へ降りていく。生徒達も元気な顔つきで順番を待っている。ニッケイホテルの名のとおり、和食も食べられるのだが、生徒達は珍しいのか殆どの者がブラジル食の方を食べている。入り口でお皿をとり、そこに並べられてあるパンをはじめ、ハムや果物など自分の好きなものを取っていく。テーブルにはコーヒー茶わんとナイフとフォークがおかれてあるだけだ。自分で取ってきたものをそこに置いて食べる。ボーイさんは忙しそうにコーヒーをついでまわっている。今晩も同じこのホテルなので荷物の整理をしなくて良いから楽である。8時半にバスで出発。

アニエンビー大講堂は3500人ほど収容できるなかなか立派なホールである。ここでブラジル伝道庁35周年記念大会式典並びにアトラクションとしての演奏会、その後第1回目のチャリティーコンサートが開かれるのだ。9時すぎ会場着。楽器を降ろしてすぐに音出し。ステージには、ブラジル国旗と日の丸が飾られ、日本語とポルトガル語で『ブラジル伝道庁35周年記念大会』と書かれた大きな看板がつるされている。司会もポルトガル語と日本語の両方で行われる。 先ずおぢば揺拝・開会宣言・よろづよ八首奉唱・次いで真柱様のご祝辞を善亮様が代読される。よのもと会・青年会・婦人会・少年会それぞれの代表が、善亮様に対して決意表明。その間にステージのヒナ壇に20数名の部員が2列に勢ぞろいして直立不動の姿勢で待機する。教祖百年祭の歌を全員で大合唱。閉会宣言で式典は無事終了。その後ステージ上で善亮様を中心に全員で記念写真をとって無事に記念大会を終えさせて頂いた。

後日一教友からお手紙を頂いたが、この式典における部員の態度に感激し、百年祭の歌のときには涙がとまらなかったと誠にもったいない嬉しい手紙であった。そのあとアトラクションとして約1時間の演奏会。「斑鳩の空」やお琴をまじえた「日本の抒情」、ソーラン節などの「日本民謡メドレー」といった日本人の心のふるさとを象徴するような曲を聴いて頂き、最後はサンバのリズムでしめくくったが、アンコールの嵐に答えて数曲演奏。最後におぢば揺拝で記念式典は全て終了。

会場内は教内の人達ばかりである。ここでお客さんの入れ替えがあり、3時半からチャリティーコナートが始まる。先程の演奏会を聴いた人も、もう一度聴きたいと当日券を買い求める人も多い。今回は5回の演奏会と3回のパレードが予定されているが、日系の西森あけみさんがコンサートの司会を担当して下さることになっている。よふぼくでもある西森さんは、日本語も堪能であり、一人で2ヵ国語話される。最初はやや緊張しておられたが、回を重ねるごとに上手に司会をして下さった。超満員の聴衆を前に、生徒達は旅の疲れも見せず熱演してくれて、6時前に無事終了した。出発前に私達が一番心配したことは、時差ボケであった。前述のごとく12時間の時差である。昼と夜が全く反対である。理屈ではわかっていても身体がいうことをきいてくれないのではないかと大変心配であったが、そんなハンディを乗り越えてよく頑張ってくれた。あと片付けと会場の掃除をしてホテルに向かう。遅めの夕食を終えて入浴。明日はバウルー市への移動であるので荷物の整理をして就寝。

野外劇場で熱狂の聴衆−シラスコ料理に腹づつみ−10日

10日は5時45分起床で6時朝食。7時出発というきついスケジュールである。バウルー市にはブラジル伝道庁があり、また天理市と姉妹都市になっている。やく300キロの行程である。郊外にでると一直線の道が地平線のかなたまで続いている。ところどころにサトウキビ畑があったり、牛を放牧したりしているが、人家は全く見られない。一度トイレ休憩をして11時すぎにレストランに到着。ここでシラスコというブラジル料理をいただく。ブラジルはコーヒーの生産はもとより肉の本場である。バイキング方式で中央に色々な料理がおかれてあって、自分の皿をもっていって好きなものを好きなだけつける。ボーイさんは、剣のようなものに肉をつきさしたものをもって各テーブルをまわってきて、客の好みに応じて包丁で皿においてくれる。何回も何回もまわってくるので私のような少食のものは、そのたびに手をふって「オブリガート」(ありがとう)を繰り返す。

日本以外たいていそうだが、ブラジルも飲料水を買わなければならない。ミネラルウォーターのびん詰めを飲むのだ。コーラなんかも炭酸の関係か日本のとは味が違うようだ。私達はピンガというサトウキビから作られた焼酒を飲ませて頂いたが、レモンを入れて飲むと大変口あたりがよくおいしい。でも非常にきついので気をつけなければならない。ブラジルの一般家庭では朝食はとらずコーヒー程度で、昼食に2時間ぐらいかける。12時すぎにレストランを出て伝道庁に向かう。途中できょうの会場である野外劇場の前を通る。

きょうは伝道庁の月次祭の日であり、12時半に皆さんが出迎えて下さることになっている。やゝ遅れて伝道庁に着いた。門の前から神殿に至るまでぎっしりと歓迎の人波だ。「歓迎天理高校吹奏楽部」と二ヵ国語で書かれた横断幕をもって下さっている。鼓笛隊の子供達が歓迎の演奏をしてくれている。善亮様を先頭に神殿に向かう。かなり大きな神殿である。神床は日本と同じ畳敷きであるが参拝場の方は長椅子である。善亮様を芯にして参拝させて頂く。大竹伝道庁長様も出迎えて下さり、私達スタッフ一同信者さん方に紹介して頂き、生徒達は宿泊室の方へ荷物をおいて演奏会の準備にかかる。3時開始の予定であるが野外ステージであり、舞台がすり鉢の底にあり、観客席が甲子園のスタンドのような感じで、楽器の運搬が非常に大変でとても間に合いそうにない。出来るだけ急がせて会場に到着する。雲一つなく快晴で楽器の運搬に生徒達は汗だく。音出しとセッティングが終わってようやくリハーサル。続々と聴衆が入ってくる。野外なので無料だそうだ。

3時半頃からコンサートが始まる。炎天下でもあるので、プログラムを変更して一部でやる予定のかたい曲はカットして、気楽に聞ける曲をふやした。バウルー市長も駆けつけて花束を自ら渡して下さり、サンバの曲では聴衆が総立ちで手を振り足をうちならし最高頂に達した。あまりの熱狂に終わるに終われず何度もアンコールをくり返してバウルーでのコンサートを終えた。聴衆は気に入ると一斉に立ち上がるのには驚いた。昨日の演奏会でも同じような場面があったが、直立不動の姿勢で立ち上がる。演奏者に対して敬意を表しているのだそうだ。急な階段を何度も昇り降りして楽器を運び終えてからスタンドの掃除。3000人を越える人の残したゴミはものすごい。中にはビンの割れたのもあり、ガラスが散らばっていてとても危険である。子供の中には靴をはかずハダシの子もいる。全員で掃除を終えて伝道庁に帰る。夕勤めギリギリの時間だ。

  今晩はバウルー市長が招待して下さっている。7時半にレストランに着かねばならない。時間に追われるようにして到着。市長のスピーチがあり学校長が御礼の言葉を述べて食事が始まる。生徒達のテーブルには一人ずつ伝道庁の方が入って下さり、いろいろお話しを伺う。9時半に終わって伝道庁に戻って就寝。ぼつぼつ生徒に疲労の色が見えだした。明日のパレードが終わればほっと一息つける。何とか御守護頂きたいと念じつつ床につく。

教祖百年祭の歌高らかに−バウルー市中をパレード−

11日10時から市庁舎前で記念式典が始まった。通訳しなければならないので時間が倍かかる。両国国歌演奏に合わせて国旗掲揚。学校長が日の丸を掲揚されたが、タイミングよく上がってうまくいったと思ったら、もう一度曲が繰り返され一同びっくり。ブラジル国歌が非常に長いので気を使って演奏してくれたのか、とにかく事前に打ち合わせがなかったので学校長はびっくりされたことだろう。市長のメッセージに続いて、学校長が御礼の挨拶。記念品のやりとりが終わってやっとセレモニーは終了。良いお天気で30分以上直立不動の姿勢をしていたのと、疲労がたまってきたのだろうか生徒が2名ダウンした。式典の最中であったので伝道庁の人がお世話下さった。市庁舎前から駅まで2キロを越えるパレードだ。沿道には小学生ぐらいの生徒を始め、中高生も並んで見ている。パレードが進むに従って観客は増えるばかり。それもぞろぞろと後をついてくる。商店街なので買物客も多ぜい見物している。駅前でパレードは終わりであるが、伝道庁長様がぜひ見たいと云われて車でこられた。車中から御覧になられたが、はるか遠いブラジルの地で百年祭のマーチを高らかに演奏している光景を涙ぐんでじっと見られているのが印象的であった。

バスでレストランに直行する。やはりシラスコ料理であった。食事中ずっとピアノが演奏されブラジルで今はやっている歌も歌われた。今回の演奏旅行で演奏する曲である。生徒にすぐ反応して手拍子をうちならし踊り出す始末。テーブルや椅子が片側に寄せられて生徒全員がサンバのリズムに合わせて踊りまくった。パレードをした直後であるのにどこにそんなエネルギーがあるのかと呆気にとられながら、楽しい雰囲気の昼食を終えて伝道庁に向かった。

午後といっても2時すぎに戻り夕方までは休養と洗濯である。やっと生徒に少し休ませることができた。面会の方が見えたといわれておりていくと、吹奏楽の先輩で山瀬さんとおっしゃる方が、何と3000キロも離れたアマゾン川の近くから、3日3晩バスに乗ってはるばる激励にかけつけて下さった。昔話に花を咲かせて、矢野先生にことづけるテープをお預かりして御礼を申し上げる。50年という年月は本当に長い。日本だけなく世界各地に先輩が活躍しておられるのだと思うと心強い気がする。夕食・夕勤めの後、バウルー市主催による交歓会が予定されている。最初の予定では本校が演奏してから、お礼の意味で何かして下さると聞いていたので、楽器のトラックも行ったのだが、完全に私達を楽しまそうというスケジュールであった。先ず最初に市民合唱団の方が、日本の「サクラ・サクラ」を含むポピュラーな曲をを聴かせて下さった。フォークソングやら空手と踊りをミックスしたようなもの、手品など、次から次へと退屈させないように演じて下さり、最後にはサンバに使う6種類のリズム楽器がバウルー市長から贈呈され、サンバのリズムに合わせて全員が舞台に上がり、踊りまくって楽しい交歓会を終えた。11時をまわっておりそれからバスで伝道庁に向かい、就寝。すでに日付が変わっている。明日は移動であるが、午前中は比較的余裕がある。だんだん疲労もたまってきたようだ。

伝道庁でお別れパーティー−ロンドリーナへ移動−12日

12日は午前中休養。11時半伝道庁主催の送別会。伝道庁長様も出席下され、ずっとお世話して下さった方々も全員一緒に心尽くしの昼食を頂いた。伝道庁からおみやげを頂き、学校長の御礼の挨拶などがあって送別会を終えた。食堂を出るところでは、伝道庁の皆様方が2列に並んでトンネルを作って下さり、生徒達はその間を通って部屋に戻り、移動の準備。2時前に3日間にわたってお世話になった伝道庁を出発。ロンドリーナまで約300キロ、4時間の旅である。バスの中では全員ぐっすり。演奏旅行の時はいつもそうだが、生徒達は乗れば眠るものと心得ているようだ。外の景色もあいかわらずよく似た光景だが、空模様がだんだんあやしくなってきた。5時半にロンドリーナ教会に寄って参拝。全員食堂に入りジュースやコーヒーをご馳走になる。ノービルホテルに予定通り入って夕食はレストランへ。夕食中にロンドリーナ市長夫人がお見えになり、ご挨拶を頂く。きょうは比較的楽なスケジュールであったので、早めに床につく。

神に通じたまこと真実−演奏会中雨降り止む−

13日、雨模様。9時に市長訪問。整然とバスを降りて行進していく姿に職員や市民もびっくり。セレモニーの後記念品を交換して表敬訪問を終える。市長は挨拶の中で今晩の演奏会は是非聞きたいが、公務のため出席できないかもしれないと云っておられた。その後州立ロンドリーナ総合大学を見学。ものすごく広い。最近は日本の大学も広大なキャンパスをもつようになってきたが、なだらかな丘陵地に校舎が点在している。学長にお会いして資料を頂く。矢持氏の出身大学であり、説明も詳しくして下さる。あちこちにバス停があり学生達が並んでいる。雨足が強くなってきた。

この地方では約3ヵ月間雨が降らないため農作物に被害が出始めており、農家にとっては何とか降ってほしい雨とのこと。ところが今夜のモリンゴン体育館は、屋根がトタンのようなもので、雨が当たるとすごい音がするそうだ。昼食後少憩して4時すぎに体育館に到着。ドシャ降りである。不吉な予感はまさに適中。楽器を降ろしてセッティング。音出しをしてからリハーサル。1万人は入るという大きな会場ではあるが、激しい雨の音でリハーサルどころではない。この状態ではリハーサルはできないと主催者側と相談。チケットは3500枚をはるかに越えて売られている。この雨の中、聴衆が続々とつめかけてくる。とても中止というわけにはいかない。この地方の人にとっては恵みの雨であるが、私達にとっては嫌な雨であった。曲目を急きょ変更して何とか演奏会をすることになった。午後8時半開演予定であるが、何と不思議定刻8時半コンサート開始の頃から小雨になり始め、演奏会の終わる10時40分まで、雨の音など全然気にすることなく演奏会ができた。出席できないといっていたロンドリーナ市長夫妻もアンコールがすべて終わるまで聞いて下さり、一番大きな拍手をして下さった。後片付けをするころから再び雨が強く降りだし、雨の中ホテルへ戻った。しかし、それにしても何という親神様のご守護であろうか。関係者一同の真実をお受け取り下されたのであろうと深く感激し、休ませて頂いた。

マリンガ市民もびっくり−雨中も勇んでパレード−

14日、朝起きるとすぐに団長である学校長からスタッフ一同集合するようにと云われ、関係者集合する。日程も半分過ぎて気持ちのゆるみがぼつぼつ出始める頃であるから、職員・生徒が一手一つになって気をゆるめることなく、最後まで頑張らせてもらおうとのお言葉を頂いた。朝食後マリンガへ移動であるが約100キロ1時間半ほどの行程である。途中マリンガ教会によって参拝させて頂き、12時半にデビレホテル着。部屋に荷物をおいて昼食をとりにレストランへ。2時に職員だけでマリンガ市長訪問。公務が多忙なのか市長の機嫌はあまりよろしくない。早々に辞去してホテルに戻る。3時から市内パレードであるが、天候がはっきりしない。警官が数名きて道路の制限を始める。まさに出発しようとした時かなり激しく降り始める。今夜の演奏会のことがあるので楽器がぬれたら大変だ。木管楽器は全部隊列からはずして、金管とドラムだけでパレード出発。全員ズブぬれでパレード終了。雨にもかかわらず多勢の市民が熱心に見学。

5時半に会場であるアセマ会館着。あいかわらず雨は降り続いている。舞台はやゝ狭いがフロアの上にシートを敷きイスを並べてある。1500名が入れば満席なのだが、次から次へと聴衆が入り当日券も売り切れ。2000名近い人が入って下さり、後ろと横は完全に立ち見席である。8時コンサート開始。ゲスト指揮者に地元の大学で指導しておられる今治信義氏に「海を越える握手」を指揮して頂き、会場は大いに盛り上がる。アンコールの連続で10時過に無事終了。生徒は疲れもみせずイスの片付けまで手伝った。文化協会の好意で全員にうどんを出して頂いた。席上「私の息子が日本で歌手になっている。オメガトライブというグループを知っていますか」と尋ねられたが、流行歌には全く無知な私は早速生徒に尋ねた。幸いにして数名の女子が知っており、「今日本でとても人気がある」と答えると大変嬉しそうであった。

余談であるが、最近「夜のヒットスタジオ」か何かの歌謡番組で、オメガトライブが出演しているのを見た。カルロスという彼の息子が歌い終わってから、ポルトガル語で両親に電話をかけて日本での成功を話していたが、(実は両親はスタジオにいて、スタジオ内の電話であった)突然両親がステージに現れたので、本人はびっくりするやら喜ぶやらであったが、私は、「あの人と先日一緒に食事をしてお話しをした」と子供に話したらおどろいていた。11時過ぎホテルに戻り荷物の整理をして、シャワーを浴びて就寝。

700キロのバスの旅−マリンガからサンパウロへ−

15日、きょうはサンパウロまで700キロ。途中昼食をとるので約10時間のバスの旅である。善亮様とはここでお別れである。9時過ぎホテル出発。皆様方にお見送り頂いて一路サンパウロへ。うつらうつらしながら時間を過ごす。学校長はサンパウロでの記者会見のため、大久保氏と飛行機で行かれた。後で聞くと天気の関係で、4時間も空港で待たされたとのことであった。途中レストランで昼食。ここまでは順調に進んだが、遠くにサンパウロの灯が見える頃からラッシュにぶつかった。ものすごい車の数である。四方八方から街の中心部に入ってくる。7時到着予定が9時を過ぎる。伝道庁のはからいで、和食レストランを予約して頂いている。ニッケイホテルについて荷物を降ろしてから行く予定であったが、余りに遅れたのでレストランに直行。10時過ぎからの夕食。久しぶりの和食に生きかえったような気がした。11時半頃ホテルに戻り就寝。いよいよ明日のコンサートと明後日のパレードで終わりである。病人も少々出たが、「大難は小難に、小難は無難に」お連れ通り頂いている。最後まで無事に終えさせて頂けるようお祈りして休ませて頂く。

のりにのる生徒たち−ブラジル最後のコンサート−16日

16日午前中はフリータイム。サンパウロ近辺にはいろんな系統の教会がたくさんある。前もって生徒のリストを渡してあるので、それぞれの教会から迎えにきて下さって、それぞれの教会に参拝することになっている。そういう教会のない生徒はまとめて買い物に行く。このあたりは日本人街であり、日本語のわかる店がたくさんある。バラバラになってはいけないのでまとまって買い物にでかける。土産物を買うのはむずかしい。あれこれ迷いながらも買い物をする。生徒達も親や兄弟や、クラスや寮の先輩、後輩達にとけっこうたくさん買い物をしている。集合時間ギリギリにホテルに戻り昼食。

3時半に文協大講堂に入りセッティング及びリハーサル。9日のアニエンビー会場は、収容人員も3500人と大きかったが、文協講堂は1500席しかない。私達がバウルー、ロンドリーナ、マリンガをまわっている間に、マスコミなどによって、日増しに人気が高くなり、9日と会場が逆だったら良かったのにと、関係者一同大変残念がっておられた。7時開演であるが、最後のコンサートとあってリハーサルに熱が入り、6時40分までかかり、15分で軽食をとり服を着替えて本番に臨んだ。

1500名を越える聴衆がわずか15分足らずで着席した。日伯両国歌に始まり、クラシック、ポップス、ジャズ、デキシー、日本の抒情、民謡、サンバとプログラムは進んでいく。ゲスト指揮は誰かと思えば、司会者が会場に呼びかけたところ、一青年が舞台に上がってきたのには驚いた。全く経験がないのだが必死にタクトを振り、ヤンヤの喝采を浴びた。これで会場の雰囲気は一気に盛り上がり、サンバでは最高潮に達した。聴衆もこのコンサートでブラジル公演が最後であることを知っているのか、アンコールの声止まず、生徒も乗りに乗っている。5曲もアンコールに応えて9時半に終了した。後片付けと清掃を終えてホテルに戻ったが、生徒達は精一杯やったという満足感にあふれているように見えた。

大公園で最後のパレード−家族連れで大にぎわい−

17日、いよいよ演奏するのはきょうで最後だ。10時よりイビラプエーラ公園内をパレードすることになっている。サンパウロ市制400年祭を記念して造られた 160万╂に及ぶ大公園である。園内には美術館や博物館、又、桂離宮を模した日本館と日本移民の先没者をしのぶ慰霊碑などがある。第3門前で音出しをして、10時よりパレード開始。最初は門前から駐車場までの 400mの許可しかとれなかったが、パレードの様子を見た公園管理関係者から距離延長の特別許可がおりて、公園中心部までの往復とかなり長い距離であった。最初は少なかった人並みも日曜の朝ということで、親子連れが目立ってふえてきて、パレードのうしろについて歩いた。パレード責任者もどこまで行っていいのかわからず、ずいぶん長い道のりを往復した。やっと終わったと思ったら、ブラジルの最大手のテレビ局の取材があり、夜のニュースで国内に広く放映された。曇天ではあったがパレードも無事終わり、5回のコンサートと3回のパレードを予定通り終えることができた。

これから天理会館に行った楽器の完全梱包である。日本出発の時と同じように37個の木箱につめるのだ。楽器とはここでお別れである。1時にピザ専門のレストランを予約して下さっているが積み込みはなかなかである。細心の注意を払って1時半頃終了。トラックはそのままリオへ出発する。2時すぎにピザ専門のレストランで遅めの昼食。ホテルに戻ってフリータイム。生徒達は買い物に行きたがるのでもう一度買い物に行かせる。夕食はブラジルの水泳チームを引率して日本にこられた方が、御礼の意味を込めて招待して下さっている。7時すぎに訪問。プール付きの大邸宅である。70名を越す大人数であるが、家族全員で接待して下さった。主人にTシャツをプレゼントしたらすぐに着替えてこられて、シラスコ料理に舌鼓を打ちながら楽しい雰囲気で歓談した。最後に自慢の記念品を飾ってある部屋を見せて頂き、生徒一人一人におみやげの鍵をもらって辞去する。いよいよきょうがサンパウロの最後の夜である。荷物の整理をして就寝。

サンパウロからリオへ−本場のサンバショウ見学−

18日、7時朝食。職員と伝道庁の方々とサンパウロ市長訪問に出かける。生徒達は8時半にホテルを出て空港に向かう。8時に市長と会うことになっている。立派な応接間に通されて待っていると、市長秘書の女性が来られて、市長に代わって応待される。記念品の交換があってしばらく歓談。記念写真をとって市庁を出る。コンゴニアス空港10時半発VP617便リオデジャネイロ行に乗ることになっている。天気は回復して快晴である。100人乗りぐらいのプロペラ機である。日航ジャンボの場合はホルンまで手持ちで入れたのだが、空港の職員から機内持ち込みはダメといわれ途方にくれる。いろいろ説明して機長預けという形で、とにかく手元にはおけないが同じ飛行機に積むということで一安心。機内に入る前に記念写真。定刻離陸。リオまで約1時間の飛行である。プロペラ機ではあるが、ジェットプロペラだそうだ。長時間乗物に乗るのは馴れているので、1時間ぐらいはすぐにたってしまう。下に大きな空港が見えてきたが通りすぎてしまう。ガレオン国際空港で明日はこの空港から出発するのだ。海面を長い橋がかかっている。後で聞くと14┥もあるとのこと。定刻にサントス・デュモン空港着。空模様が怪しくなってきた。ブラジルは治安があまり良くないと聞いている。特に観光都市リオはそうらしい。パレードもコンサートも全て終わっているので、生徒の気持ちのゆるみが心配である。バスは一晩中走り続けて、空港前に待機してくれている。日本のように交代の運転手はいなくて、全て一人で運転されている。ホテルに向かう途中レストランで昼食。生徒もシラスコ料理に馴れてきたとみえて食欲旺盛。小雨に煙るリオ市内を走り、コパカバーナ海岸に近いオコパホテルに入る。グループ毎に買い物や海岸に行く。青年会の人達が通訳や付き添いをして下さっている。私は疲労が重なってダウン。宿舎で休憩する。今夜の予定は夕食をとりに行った後、本場のサンバショウを見学することになっている。一人病人がでた。ホテル専属の医者がきて下さり、鎮痛剤の血管注射を打ってもらう。生徒達は夕食をとりに出発したが、私とOB一人は残って診断の結果を聞く。薬が効いてきたのかぐっすりと眠っている。あとを青年会に方にまかせて、生徒達の食事をしているレストランに送ってもらう。スパゲティー専門の店である。同じものばかりでは飽きてくるであろうとの配慮からだ。

サンバのショウは空中ケーブルに乗って山の頂上にあるホールで行われる。途中の夜景が又絶景であった。やゝ寒い。夜の10時から始まり12時半頃に終了する。円型の劇場で正面が舞台。段を降りて円型のフロアー。そのまわりが観客席で600人ぐらい収容できる。サンバのリズムに合わせてオープニング。リオのカーニバルで見るような大きな羽根飾りのついた豪華な衣装で20名ぐらいの女性が登場。観客席のすぐ近くまで踊りながらやってくる。次いでサンバのリズム楽器をもった5人のプレイヤーがフロアーに登場。お客をフロアーに呼んで叩き方を教え、素人ばかりで合奏させる。ドラムの生徒も参加したのでみんなは大喜び。一人一人が物凄いリズム感と卓越した技術をもっていて、観客を引き付ける。又次のショウでは、やはり5人ほどフロアーに入れてサンバの踊りを教え、みんなの前で踊らせる。小さな女の子と相当の年の女性がいたが物凄くうまい。後で聞くとサンバチームの子供と、このチームを指導している先生だと聞いて納得した。次から次へと観客を飽きさせない演出にはプロの根性を見た気がした。フィナーレがものすごく、お客も踊りに中に引き入れてみんなで踊り狂ってサンバショウが終わった。12時をまわっている。ケーブルが一台なのでなかなか乗れない。サンバチームの人達も衣装を着替えてやってくる。成程先程の少女も母親と一緒にやってくる。ホテルに帰りついたのは1時近くであった。病人もよく眠っている。いよいよ明日でブラジルを出発する。何とかここまでお連れ通り頂いた。無事おぢばに帰れることを祈って就寝。

宿泊予定のホテルが火事−奇跡のご守護頂く−19日

19日 小雨模様。朝食後荷物の整理。土産物の荷造りをして下さっていた青年会の方が「向かいのホテルが火事です」と知らせて下さった。あわてて窓を開けると、ななめ向かいのプラザホテルの一階から黒い煙がもくもくと吹きでている。消防車もパトカーも来ていない。ぼつぼつ野次馬が集まり出す。ホテルの従業員があわてて車を止めようとするが、後から後からくるのでなかなか止められない。「あのホテルは5年前に柔道部が来た時に泊まったホテルだ」と学校長が云う。後で聞いたところによると、今回もプラザホテルを予約しに行ったところ、いっぱいでとれなかったのでこのホテルにしたとのこと。又もや親神様の大きな御守護を頂いた。最初天候の関係でリオに降りれなかったことが、結局は幸いしたし、ロンドリーナでの雨、今回のホテルの火事と、火水風の三つの大きな御守護を頂いたことになる。みんなが一手一つに心を合わせ、誠真実の心をもって努力すれば、本当に大きな御守護を頂くことができることを実感した。サイレンの音が聞こえやっと消防車が到着し、警官もでて交通規制が始まったが、煙はなかなかおさまらない。生徒は今ロビーにサムソナイトを並べている。もしあのホテルに泊まっていたらと思うと、背筋が寒くなるようだ。 今朝からまた一人病人がでた。40度近い熱がある。どうも扁桃腺による熱らしい。その子の教会の関係の方がさし入れをもって尋ねて下さったところ、本人が高熱を出して寝ているのでびっくり。その教会に連れて行って医者に見てもらうことにする。一人では心細いということで昨日の病人と2人お世話になる。今夜11時55分の便で出発することになっている。それまでに御守護頂きたい。なんとか全員おぢばに帰らせて頂きたいと祈る。昼前にホテルをチェックアウトして観光にでかける。あいにくの天気である。途中レストランで昼食。電話で病人の様態を尋ねる。3時に医者の判断がでるとのこと。何とか御守護頂きたいものと念じつつバスに乗る。

これからケーブルカーに乗って山の頂上に行き、世界でも一・二と云われるガナバラ湾の眺望を楽しむのだ。2両連結の登山列車に乗って頂上に近付いていく。フランス人の学生が生徒達に盛んに話しかけている。かなりの急勾配である。山頂駅について坂を登っていく。 200m近い山に、30mぐらいの高さの両手を水平に広げたキリスト像が立っている。50〜60年ぐらい前に建造されたそうだが、難工事であったことだろう。像の反対側に展望台がある。何と見事な景色であろう。360度すばらしい。入り組んだ海岸線、真っ白な砂浜、その前にそそりたつ白亜の殿堂のようなホテル群。遠くにガレオン国際空港や、14┥に及ぶ長い橋が海の上を渡っている。リオは海岸線のそばまで山が迫っている。非常に細長い街で坂が多い。この絶景は生涯忘れられないものとなるだろう。生徒も何回となくシャッターを切っている。カメラマンに注文している。しばし時のたつのも忘れて景色に見入った。夜にはキリスト像を照らす照明が灯される。昨夜サンバショウを見に行った時、空中ケーブルから照明に浮かんだ像が遠くに見えていた。時間がきたので後ろ髪を引かれる思いでこの場を去った。

このあと博物館も廻る予定であったが時間的にうまくいかず、コパカバーナ海岸を通り、イパネマ海岸でバスを降りる。夕方であり薄暗くなりかけているが、海岸で数名の若者がサーフィンを楽しんでいる。肌寒いのかウェットスーツを着ている。ブラジルでの最後の夕食は7時にピザ専門店の予定である。時間調整をしてレストランに入る。全部で10数枚のピザが出るが、半分ぐらいでギブアップ。ボーイさんの赤い帽子を借りて記念写真。生徒もボーイさんと仲良く記念撮影。

9時過ぎに空港着。日伯援護協会の方もわざわざ見送りに来て下さっている。10時過ぎに病人も到着。医師の許可が出たのだ。大きな御守護を頂いて全員そろっておぢばに帰れる。23時55分発JL063三便である。長期間にわたってお世話頂いた伝道庁の方々や、日伯援護協会、その他関係者にお別れの挨拶をして機内に入る。日航なのでスチュアデスも日本人で心強い。2人の病人のことを話して特別に座席を用意してもらう。熱も下がってよく眠っている。

いよいよ離陸。ブラジルともおさらばだ。長いようで短かった演奏旅行を終え一路ロスへ向かう。僕の時計では夜中の2時頃なのに夜が明けてきた。睡眠不足のまま快晴のロスアンゼルス空港着。2時間足らずの待ち時間があり、前と同じくロビーですごす。機内で甲子園のことが話題になっており、今日本では20日の夜中であるが、準決勝で勝ったかどうか国際電話をかける。初めて決勝に進出したと聞き、校長始め生徒達は大喜び。野球の応援に行ってくれている後輩達も頑張っているようだ。

もうひとつ嬉しいことが重なった。ロスから成田まで吹奏楽部のOBである松下先輩が機長として乗られるのだ。7月の初めに元本校の英語教諭で吹奏楽部の副部長でもあった松下(現姓北出)先生から、どの便で帰るのかと問い合わせがあったので、063便と答えると、ふだん後輩達に何もしてやれないのでせめてこのぐらいはと、日程をやり繰りして下さったのだ。校長と私と指揮者、それにカメラマンとでコクピットに入れて頂いた。テレビで見たことはあるが、ものすごい計器類である。3人の乗務員がおられる。思ったより狭い。すべて自動であるが、機械に頼りすぎると腕が鈍るので、成田では機械ではなく手動で着陸しますと云っておられた。水平飛行中はずっと計器とにらめっこである。あまり長居をしても悪いので失礼して座席に戻る。

しばらくすると松下先輩が私達の座席に降りてこられた。3人で順番に休憩されるのだ。なつかしい話に花が咲いて時のたつのも忘れる。日付変更線を通るので成田には21日の午後1時過ぎの到着予定である。成田で4時間の待ち時間がある。丁度甲子園では決勝戦の最中である。定刻無事着。

心は甲子園に飛んで−成田空港でテレビ観戦−21日

到着ロビーで松下機長に全員で挨拶。カメラマンの大久保氏ともここでお別れ。試合は3回に入っており1点負けている。生徒達はテレビにかじりついて一喜一憂している。学校長も落ち着かない様子である。時折応援席もうつる。先輩達も大勢応援に駆けつけてくれている。ゲームセットのサイレンがなった時にはロビーも興奮のるつぼと化し、嬉し泣きしている生徒もいた。何だか夢を見ているようでなかなか実感としてわいてこない。校長は何回もよくやったと拍手しておられる。

17時30分JL051便で大阪に向かう。機内放送で天理高校の優勝が案内され全員拍手喝采。18時40分伊丹着。夕方の一番混雑する時間である。到着ロビーはものすごい人。荷物を出してロビーの片隅に整列する。校長はテレビの取材につかまっておられる。副校長・事務長は明日の優勝パレードの打ち合わせに忙殺されている。学校長も一斉に決断を迫られて困っておられるようであったが、これからすぐに野球部の宿舎にまわるから、おぢばでの神殿参拝を私にやるように云われ、お玄関へのご挨拶は明日行くように決定されて、急いで野球部の方へ行かれた。

私は楽器の通関の仕事がある。生徒のほうはまかせて矢持氏と前と同じように日航の人と税関へ。木箱の中にはリストに乗っていない土産物を入れている。心配したが無事通関できて生徒の方に戻る。伝道部の乗用車に乗せてもらって天理に向かう。疲労がどっと出てきて眠いのだが興奮しているせいか眠れない。

南門前で降りて神殿に向かう。9時半をすぎている。お礼のおつとめをして三殿をまわり、祖霊殿で教頭先生と学校本部の吉川先生からねぎらいの言葉を頂き練習場に戻る。楽器は今夜は運送会社の倉庫に保管してもらうことになっている。男子の寮生は132母屋ブラジル詰所に、東寮生は東寮に泊めて頂くことになっている。学校では明日の優勝パレードの打ち合わせがまだ続いているらしい。9時半集合と生徒に話して解散しかけたときに、パレードは4時と決定されたので、正午集合に変更して解散。22日から4日間休みにする予定であったが、1日減って3日間の休みとなる。いろいろ仕事を片付けて家に帰りついたのは11時をまわっていた。病人も出たが、とにかく全員無事におぢばに連れ帰ることができ本当にありがたいことであった。2週間ぶりに畳の上でフトンにもぐり込むことができ、翌朝8時すぎまでぐっすり眠った。

磨かれた音・行儀のよさ

今井恵美子

私どもの教会の信者さんも、84歳になる老人が杖をついてアニェンビー(サンパウロ)に行かさて頂き、涙を流して感激して帰って参りました。磨きに磨かれた音で素晴らしい演奏。お行儀のよさ、素晴らしい実行力。日系人の私どもはもとより、ブラジル人も感激し心の躍動を禁じ得なかったと思います。また私のような素人で届かない者をお供させて頂き、お連れ通り頂きまして、お礼の言葉もございません。一生の思い出にさせて頂きます。実は私、ジアデーマ教会(日本橋部内)で、近所の2、3、4世の子供を集めて日本語学校を経営させて頂いております。この生徒たちも、天下の天理ハイスクールバンドを聞かせて頂きまして、学校へ来た子供達の目がいつもと違うのです。キラキラ輝いていて私に何か言いたげな様子を感じまして……私、子供達に申しました。「天理高校の校長先生にお礼状を出させて頂きましょう。」すると、作文とか感想文になるといつも逃げ腰の子供達が「ハイ!」と即答のもとに、大変な字で、本当にお恥ずかしいのですが書かせて頂きました。お読み頂けますでしょうか。

素晴らしい演奏・まるで夢のよう

トレスバラス教会よふぼく 松原隆祐

天理高校吹奏楽部のみなさんへ。ようこそ遠いブラジルへおいで下さいまして、まことにありがとうございます。人類の親里おぢばより、尊いおぢばの理と教祖、真柱様のあふれるばかりの親心とを山のようにご持参下しまして、我々ブラジルの道の子等にお分かち下さる役目を担って、はるばるブラジルにおいで下さり、また文字通り本当に素晴らしい演奏をお聞かせ頂き、全く夢のようでございます。また、あなたがたの伴奏で教祖百年祭の歌を歌わせて頂いた時、最高の感激であふれる涙で何も見えなくなりました。直立の姿でピッチリと伸ばした手を体につけて待機していられる十数名の伴奏の生徒さんの手を見ている私の感じたことは、教祖が仰せられた「おてふりの時手がグニャグニャしているのは心がグニャグニャしているからや」という意味の教えを思い出し、あなたがた一人一人の限りないまごころが手の先からほとばしり出て、私の心を温かく充たしてくれるように思いました。真柱様の温かい我々へのメッセージを頂き、また教会、伝道庁へ運んで理から離れることなく道を歩むようにとのお諭しを守って、一人でも多くのブラジルの人々へ教祖の世界たすけの御教えを伝え、広く道を広めるべく、一生懸命、にをいがけおたすけに励んで、教祖、真柱様の親心にこたえる覚悟です。到着早々からのハードスケジュールで広く教外への働きかけ日本からのおぢばの理と教祖の理を広く呼びかけるための日伯病院寄金のチャリティショウのための演奏と、まことに御苦労様です。どうか体に気をつけて一人も残らず元気にお帰り下さることを祈ります。何とか感謝の気持ちを伝えたくペンをとりました。